地下壕司令部の狂気に満ちた世界 保坂廣志著『首里城と沖縄戦』②
日差しの届かない地下に長時間、人間が籠れば肉体的に精神的にも悪影響を及ぼす。しかも、日本軍が首里城地下の司令部壕にいた時期は梅雨の時期。水浸し状態となり、壕全体を大きく揺さぶる米戦艦の艦砲射撃が続く。本書はそんな司令部壕で繰り広げられた狂気の時間を描く。
天皇誕生日の4月29日には、日本軍の連合艦隊や航空部隊の結集によって沖縄の米軍は殲滅されるという噂が広まる。沖縄守備隊の日本軍が5月4日、総攻撃を展開する際、将官たちは前日に戦勝前祝賀会を大々的に催す。現実では、天皇誕生日には何も起こらず、5月4日の総攻撃は師団によっては戦力が3分の1以下になり弾薬を使い果たすなど大失敗に終わる。
5月下旬、首里城周辺に米軍が迫ると、沖縄守備隊の司令部は本島南部に撤退する道を選ぶ。本島南部には沖縄住民が避難しているが、民間人を道連れに破滅への道を歩むがごとくである。しかも、それまで散々沖縄県民を「スパイ」扱いしながら、暗号関連文書など重要機密を地下壕に残したまま我先に逃げ出す。これらの文書は米軍の手に渡りさらに日本軍を窮地に追い込む。正常な判断を失ったがゆえの地下壕の持久戦だったか、地下壕生活が正常な判断を奪ったのか。(上の写真は、日本軍が首里城地下からの撤退の際に使ったといわれる第5坑道口)