忖度社会化の先に幸せはあるか 兼本浩祐著『普通という異常』①

 特にわれわれ日本人は「普通」という言葉を好む。本書のサブタイトルは「健常発達という病」である。「普通」や「健常発達」を口にする時、何も問題がないとしがちだが、実は何らしかの異常を含んでいるのではないか。著者はそう問いかける。普通や健常発達の人々が時として抱える異常として、他者への過度な配慮を指摘する。

 確かに人は幼い頃に自分の関心事ばかりに集中しがちだが、成長するに従って他人に配慮し社会のルールを守ることを覚える。これが健常発達とされる。親たちは子どもが他人に対して気遣いができるようになると喜ぶ。一方、ある程度年齢を重ねても、他人に対して関心を持てず社会のルールに従えないとなれば、社会生活に支障を来たし精神的な病の落胤を押される。

 しかし、他者の受け止め方や社会の決まりごとをあまり気にし過ぎると、精神的な病と呼ばなくても毎日の暮らしに息苦しさを感じるようになる。他人や社会がこう受け止めるのではないかということばかり考えれば、自分のやりたいことができなくなる。数年前から「忖度」という言葉がよく使われるようになったが、あまりにも忖度を働かせる普通や健常発達を追い求めるあまり、日本は「忖度社会」化が進んでいるのかもしれない。

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