時々、ドゥーチュイムニー(沖縄方言:ひとりごと)その3

   

8月も中旬になると、セミの鳴き声はひと頃の勢いを失い、あのにぎやかだった合唱はしだいに二重唱や独唱という赴きになってきた。

日中の気温は30度を軽く越え、この夏の最高気温はこれからどんどん更新されていきそうだが、アパートの階段やベランダではセミの死骸が目に止まるようになり、夏のひとつのイベントが終わりを迎えつつあるのだと悟る。

一方、毎年の心踊らせる大きなイベントであった夏の甲子園大会は中止となり、替わりに春季大会の出場予定であった高校の交流試合が一週間の予定で行われている。

その事情をよく知らない人から、今夏の沖縄大会で優勝した八重山高校が出場する試合はいつなのか、尋ねられ苦笑してしまった。なんともやるせない。

しかしそんな出来事も霞んでしまうくらい、今月に入って沖縄で猛威を奮う新型コロナが心配だ。その感染率の数値には驚く他ない。

沖縄の医療のキャパシティでこの状況を乗り越えられるのか、これまでの海外のニュースが頭をよぎる。何よりも日本政府のこれまでの防疫姿勢の曖昧さ、経済対策への疑問、指導責任者の不在、これらが不安に拍車をかけるのだ。

先月手術のため入院した年老いた母とは、現在コロナ対策のため、無期限の面会禁止となっている。どうか早い事態の収束を願う。

医療関係者の苦労をねぎらい、そして感謝を捧げたい。

今年産卵したセミの子孫たちは、3年から10数年、暗い土の中で過ごす。そしていつの日か地上へ姿を現す。この季節の到来を告げる使者として。

     (y,y)

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