比嘉美津子著『素顔の伊波普猷』
伊波普猷は「沖縄学の父」ともよばれ有名だが、本書から生前は金銭面で相当苦労したことがうかがわれる。著者は普猷の妻・冬子の従妹であり、若い時に8年近く東京の伊波家に身を寄せていたことから、日々の生活費をいかに工面するか苦心していたことを肌身で感じた。借金の依頼や着物の質入れに駆り出されることが何度もあった。
一方、普猷が「おもろそうし」研究に気がふれたように没頭する様子も記している。「先生の頭の中は、寝ても覚めても、オモロの研究でいっぱいで、或る朝飛び起きて『おい、夕べは夢の中で発見したよ』と、大きなお声で言われたこともある。或る時はナゾ解きのように、また或る時は幾度もくり返し小声で口ずさんだり、オモロの一節『えけ、あがる三日月や、えけ、あがるあかぼしや』と朗々と読まれ、『どうだ、実に調子の良い詩だろう』と、そのお顔は紅潮し、感動に溢れて、自ら酔っておられる様子であった。和紙で綴じられた『校訂おもろさうし』の本は、先生の手垢で汚れちぎれて、触るのも恐ろしい気がした」。
普猷は終戦から2年で他界し、冬子は昭和34年に遺骨を抱いて沖縄へ引き揚げる。やがて顕彰碑が沖縄に建てられ物外忌(普猷の命日)が行われるようになるなど、普猷の功績が見直されるようになるが、冬子は孤独に苛まれる。『伊波普猷全集』の印税が入る頃には、冬子は病床に伏せるようになり、昭和50年には普猷の研究生活を支えたその生涯を閉じたという。(T)