沖縄から見える選挙第一主義の限界

 8月25日に告示、9月11日に投開票される沖縄県知事選の最中である。これまでの知事選や国政選挙に比べると、全国メディアの注目が小さい。理由は明確だろう。選挙の結果がどうであろうと、一番の関心事である辺野古新基地の行方を左右する可能性が低いからだ。

 ここ何年かの沖縄を舞台にした知事選や国政選挙は何回も連続して新基地反対の候補者が当選し、「民意」が明らかにもかかわらず、政府は都合の悪い選挙結果については目をつぶり、「辺野古が唯一の解決策」を繰り返すばかり。日頃から選挙について「国民の審判」「民主主義の根幹」とお祭り騒ぎをする多くのマスコミも、政府の「民意」無視を厳しく追及することはない。

 辺野古新基地建設を争点にした総選挙で、反対派が勝利すれば政権交代が実現し、新基地の方針も変わらざるを得ないが、そんなことはありえないだろう。沖縄以外の国民の大半はまったく関心がないか、日本の安全保障のために米軍との協力は必要だが、自分の生活圏に米軍基地をつくられては困る、大きな声ではいえないが沖縄に存続してくれた方がよいと考えているはずだ。これでは日本全体では、米軍基地は沖縄にあり続けた方がよいという結果に行き着く。

 安全保障は米軍に頼りきり、基地負担は沖縄に任せっぱなし。公正さを欠くだけでなく、安全保障をめぐる健全な意識を育む上でも阻害要因になった。それはロシアのウクライナ侵攻が突き付けた現実が如実に象徴している。選挙結果という多数決の原理に偏重すれば、現代の多様な民意を汲み取ることはできず社会は機能不全を起こす。民主主義のもう一つの原理である「少数意見の尊重」をいかに機能させるか新たな取り組みが必要になる。(T)

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