実体の探求よりも「いいね」を求める時代へ 兼本浩祐著『普通という異常』②

 本書のタイトルにあるように「普通」が異常さを増すのは時代が変化していることが背景にある。それは「第4章 昭和的『私』から『いいね』の『私』」で紹介しているボードリヤールの分析に集約される。第1段階は、本物というものが存在し、「私」はそれを追い求めひたすら努力を続ける昭和的な図式。ところが、次の第2段階では、大量生産・大量消費の時代になり、本物とコピーの差がほとんどなくなる。さらに第3段階では、ブランド品のように一般大衆が認める価値が先に存在し、その価値が実体に見合うかどうか問わない時代になっている。本物の「私」はもともと把握することが難しい上、「普通の人」たちは他者の目を気にして忖度を重ね「健常発達」を遂げてきただけに、どれほどの「いいね」(他者による承認)を獲得できるかによって、実体があやふやな「私」を維持できるかが決まる。

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