病と健常の曖昧な境界線 兼本浩祐著『普通という異常』③
本書の後半では次の3つのタイプの人間を登場させ比較する。病と健常の境界線に問題定義をするためだろう。
- ADHD(注意欠陥・多動性障害)的であり、自分の関心事没入型
- 自分の理想像を信じる昭和の努力探求型
- 他人の目を気にする平成・令和の「いいね」渇望型
この3つのち一般的には<1>自分の関心事没入型は病気に分類されることが多く、他の2つのタイプは健常に含められる。没入型は自分の関心のない勉強や作業に継続して携わることが難しく他人との協調に支障が出るためだろう。
ただ、病とは「苦しみ」を伴うかどうかという基準を筆者は取り入れてみる。その基準では<1>の没入型は本人にとって必ずしも「苦しみ」ではない。一方、<2>努力探求型は理想像が見つからないとか、理想像と現実がずれているなどで苦しみ、<3>渇望型は「いいね」を集めることにアイデンティティーの在処を求めるが、世間の流行りや好みが目まぐるしく変化し「いいね」を思うように得られず悩む。そういう意味では世間では「普通」と呼ばれる<2><3>が苦しみを伴う。病と健常の境界線がぼやけ始める。
その一方、筆者は人間らしさと他人の視線の関係も探る。<3><2><1>の順で他人の視線の比重が軽くなる。令和の現在では<3>の「いいね」渇望型が増える一方、「他人のことは気にするな。自分らしさを貫け」という意味のフレーズがよく流行歌に現れる。他人の視線を気しすぎると生きづらくなるが、まったく気にしないことは人間らしいのか。社会を形づくり発展した人間のあり方と他人の視線は無関係ではあるまい。