国家の分断そのものが悪か?

 今年(2021年)1月にトランプ米大統領は任期切れを迎えたが、それまでの4年間は米国内にとどまらず、欧州や南米など世界各地で「トランプ現象」が盛んに叫ばれてきた。人種や宗教、思想、移民などをめぐり国民の間に「分断」が生まれ、国家分裂の危機に陥りかねないと憂慮された。そうした空気の中、『なぜ、成熟した民主主義は分断を生み出すのか アメリカから世界に拡散する格差と分断の構図』(渡瀬裕哉著)というタイトルは引き付けるものがある。

 同書の指摘で一番響いたのは、「『アイデンティティの分断』が発生すること自体、無理に否定する必要がない」と主張するところだ。分断という言葉を使えば否定的な意味合いが強いが、自分らしさや多様性という言葉に置き換えれば納得がいく。社会が経済的に豊かになり民主化されれば、市民一人ひとりの好みや考え方の違いを自覚し主張しやすくなる。さらにマーケティングの発達によって、個人の好みにピンポイントで合致する商品開発や広告宣伝が促され、インターネットメディアでは自分の見たいもの、知りたいものにより絞って触れることになる。民主主義が成熟するほど個人の好みや考え方が多様化することは十分予想できる。

 ただ、同書の中では素直に受け入れられない部分もあった。メディアや知識人、リベラル派がアイデンティティの分断や押し付けを煽って社会に拡散し、さらに選挙に利用していると指摘。日本における実例として小泉政権下の「郵政選挙」を挙げている点である。そもそも、本質的なアイデンティティと押し付け・分断されたアイデンティティの違いは何か、押し付け・分断されたアイデンティティがどのようなメカニズムのもと選挙に利用されるか、具体的な分析が示されていないように思えた。

 トランプ現象とは何かについても疑問が残った。確かに、同書が批判するように、メディアやリベラル知識人がアイデンティティの分断を煽った面は否定できまい。しかし、トランプ現象で一番気になったのは事実関係の認定である。トランプ前大統領は自分に不利な報道が出ると、「フェイク・ニュース」のもとに一蹴し、支持者もそれを信じたといわれる。事実関係で同意できる部分があれば、それを足掛かりに意見が異なるグループの間でも合意をつくりあげる道筋も見えるが、事実関係で同意できる部分がまったくなければ議論は平行線をたどるばかりであり、合意の道筋も見えない。正しい情報や事実関係に基づかない分断が最も恐ろしい。(T)

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