玉代勢秀子著『ひめゆり教師の手紙』

 教師の友人と居酒屋で飲んでいると、彼の携帯にメールが入ってきた。「保護者からいろいろ相談のメールが来るんだ」とつぶやくように語った。すでに午後9時を過ぎていたが、完全に仕事から離れられない。単に教科を教える以上の存在であり、子供の教育で親から四六時中頼られている。

 米国に住んでいた時、教師の地位は日本ほど高くないと聞いたことがある。教師は単に教科を教えるだけであり、学級担任などはなく、学校生活の悩みはスクールカウンセラーなど教師以外が引き受ける。そもそも、米国では社会を実践している人が尊敬され、知識や仕組みを教えるだけの教師は実践する能力がないと一段低く見られるそうだ。

 それと比べれば、かつて「聖職」と呼ばれたほどの威光はないが、わが国で教師は思想や人格の形成まで子供の成長全般に責任を負うような風潮が続く。だから、戦後、教科書も含め教育や教師のあり方がたびたび政治問題化してきたのかもしれない。玉代勢秀子著『ひめゆり教師の手紙』を読んで改めて、そう思った。

 著者の夫は、沖縄戦でひめゆり学徒隊(沖縄師範学校女子部生徒)を引率した教師・玉代勢秀文氏。沖縄戦を前に妻の著者を含め家族は九州へ疎開する一方、沖縄に残って学徒隊と行動をともにする。家族を気にかけ妻のもとに届く手紙は1944年9月に始まり、30通を数え米軍上陸の直前の1945年3月に途絶える。終戦後、奇跡的に生き残った女子生徒の証言によれば、米軍の猛攻に対して撤退を繰り返す日本軍は1945年6月、学徒隊に解散を命じ、秀文氏は生徒たちとともに本島北部方面へ避難しようとするが、途中で米軍の砲弾によって命を落としたという。

 軍さえ見放した学徒隊を最後まで守ろうとする姿勢は教え子たちへの愛情の深さゆえだろう。しかし、そうした師弟関係が国家に利用された面は否定できない。当時は拒むことはほとんど不可能だったろうが、国の方針を子供たちに徹底させる役割も担ったことも明らか。戦争という非常に特殊な状況ゆえ、わが国の教師が抱える二つの面が浮き上がる。同時に、この二つの面は今日にも大なり小なり脈々と伝わるのを感じる。(T)

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