沖縄戦の狂気をたどる 第32軍司令部壕跡FW
2月11日、沖縄戦を学ぶフィールドワーク(FW)として那覇市の首里城内や周辺を歩き、第32軍司令部壕の痕跡をたどった。旧日本軍第32軍は南西諸島防衛のため創設され、首里城の地下に総延長1キロにも及ぶ司令部壕を構築した。<上の写真>はその模型だが、アリの巣のように入り組んだ形状をみると、狂気じみたものを感じずにはいられない。
これだけの規模の壕でも県民はもちろん、兵士全員が避難できるわけではない。一部の高級将校らが身を隠すことによって、とりあえず日本軍の敗戦は先延ばしできるかもしれない。しかし、司令部壕に籠っているだけでは、圧倒的に兵力や物量で上回る米軍に勝てる見込みはなく、戦闘が長引けば長引くほど日本軍はもちろん民間の被害は大きくなることは目に見えていた。本土決戦のために時間稼ぎに徹した「捨て石」作戦という沖縄戦を象徴しているともいえよう。
観光客も含め一般の人々が、この「負の遺産」を直接見学できるように沖縄県は調査を進めているが、戦後70年以上ほとんど放置されてきたため、壕の坑道は崩落が進むなど一般公開は簡単ではないようだ。今のところ、はっきりと外部から確認できるのは、第5坑口入り口と第5歩兵司令部壕の通気口くらいである。第5抗口の入り口<下の写真>は首里城のある丘の麓にあり、以前訪れた時は雑草が生い茂っていたが、今回は周囲の雑草が刈られ斜面に手すりが設けられるなど大分整備されていた。歩兵司令部壕の通気口は守礼門にも近く、人通りの多い場所にあるが、以前はコンクリートに覆われた形状からトーチカと考えられていた。通気口と分かったのは近年の確認作業による。(T)